Caligula-カリギュラ- 12話(最終回) 感想
アニメ Caligula-カリギュラ-12話(最終回)「理想(きみ)を壊して、現実(じごく)へ帰る――。」感想。アニメのネタバレ有。
前 → 11話感想
4月から追ってきたアニメCaligulaもついに最終回。物語の締めに相応しい決着、とても素晴らしかった。私的にとても満足であったし、原作ゲーム勢もアニメオンリー勢どちらにも好評価だったのではと思う。
物語の主軸「式島律とは何者か?」が判明した11話、そして続く12話では式島律が「μに何を伝えるのか?」に対する答えがとても納得できるもので、その過程に至る2人のやり取りもとても愛おしく、「Caligula」という作品を私はより好きになることができた。
■ 帰宅部と楽士
暴走するμと崩壊するメビウス。そんな中、琴乃が自身の過去を打ち明ける。10話の暴露大会では、ウィキッドの乱入のせいで琴乃だけ過去を共有できていなかった。
自身がシングルマザーであり、"たっくん"とは自分の子どものことであったと。親として後悔している現実での行動、そしてメビウスにいた分だけ離れた時間…取り返せるものか分からないが、現実に帰ってたっくんを抱きしめたいと言う。
琴乃の過去に触れた5話を観た時は、たっくんは彼氏のことかと思っていたけど、それよりも重い話でしたね。あの時の部室でなく、今ここで語られたことには色々な意味があるのでしょう。
そうして帰宅部の帰宅意思?がより明確になったところで、楽士が現れる。言い分が噛み合わない両者だが、それも仕方ないことなのかもしれない。
一度は現実に負けて心が弱まった者が集まったのがメビウス。それ故に、メビウスを天国と言い、現実を地獄と言うのは帰宅部も楽士も一緒だろう。
しかし捉え方は一緒でも、歩く方向は違う。"地獄でも帰りたい者"と、"地獄だから帰りたくない者"はぶつかり合う。維弦の「自分を肯定できるのが現実でなのか、メビウスでなのか」がかっこいいほどに的確な表現。
■笙悟とソーン
ついにソーンの正体が暴かれる。大雑把かもしれないけども、大切な人の死から逃避するのが笙悟であり、大事な人の死に近づこうとしたのがソーンである。以下、補足含めた解説。
~姿格好は笙悟の亡き友人"早乙女 一凛(さおとめ いちか)"だが、中身は"棗 飛鳥(なつめ あすか)"という笙悟と一凛の友人(男)であった。名前由来は、棗→朿朿→棘→ソーン(Thorn)。明言はされていないようだが、恐らく棗は一凛のことを好いており、そんな一凛からの心中の誘いから逃げた笙悟を恨んでいた。その為、メビウスで執拗に一凛の姿で笙悟の目の前から飛び降りるという、凄まじい嫌がらせを繰り返していた。これは一凛が心中相手に選んだのが自分でなく笙悟であったことへの妬みからもあるだろう。なお、ソーンの望みとして身投げしても死なない様に設定されている(理屈は分からないです)。~
そんなヤバいやつなソーンの楽曲はCaligula曲の中でも特にヤバイ曲。まぁ想いの強さが切ないんですけどね。
ドールううううううううううう!!!!11
最高でした。ブログ感想書きオタクなので気になったとこをメモりながら観てたんですけど、少年ドール(小森くん)の登場で持ってるペンが歓喜の輪を描きながら宙を舞いました。律の登場シーンもかっこ良かったけど、このシーンもかなり激アツだったなぁ。
もうソーンとか他の奴に任せて、一刻も早く二人でお弁当食べに行ってくれって感じだった。
■律の一人称
崩壊したメビウスで律はμと対峙する。追記:このシーンのアフレコは、ブースに沢城千春さんと上田麗奈さんの2人きりで行われたらしい(カリギュラジオ12回より)。素敵~!
(猫のくだり)君は言った「大丈夫だよ」って。
その言葉に俺はすごく救われた。
でもね、本当に子猫が大丈夫だったか多分君は分かっていなかったと思う。
君の答えはただ単に僕がかけてもらいたかった言葉に過ぎないんだ
この律の台詞の中で一人称に"俺"や"僕"を使うが、この後では
君は幸せについて俺に聞いたよね。
と俺になり、以降一人称は俺に固定される。現実世界にて式島律の一人称は俺であり、対して橘真吾は僕である。ゆえに今μに話しかけているのが式島律であることがしっかりと分かる。
ちなみに7話を見返してみたら、律とμの幸せ問答シーンにて、記憶を取り戻す前後で一人称が僕→俺と変化していた。
そして7話では律の言葉はμには全く理解してもらえなかった。説明の仕方が理屈的であったというのも理由の一つだろうが、この時の言葉は橘真吾のものだったからだろう。μは生み出されてから律の言葉によって幸せを学んでいったので、やはり響くのは律の言葉。
何度μに拒絶されようとも、諦めずに、自分の言葉で人の心というものをμに伝えようとする。
μ、君がどんな思い出メビウスで作ったのか
どれほど幸せを願ったのか
俺の言葉は君に届いていないのかもしれない。
でも伝え続けるよ
今度こそは間違えない。
俺自身の偽りない言葉を伝える。
この"偽り"というのは何を指しているのか。恐らくはメビウスでの橘真吾の知識と話し方がひとつだろうけども、もう一つは現実での律とμのやり取りかなと思った。
11話を観て「なんで律ってメビウスに誘致されなかったのだろう?」と疑問に思った。これは推測ですけども、律はμに幸せを指南するにあたって、"自分が○○だと幸せ"を、時には見栄を張って話を盛るなどして、伝えてしまっていたことが原因なんじゃないだろうか。
それをμが「律が幸せについてたくさん知っているのは、律が幸せだからなんだね!」と捉えていたのかもしれない。幸せだから、律はメビウスに連れて行く必要が無かったと。
また、以上をうけて、6話で律に撃たれたμが「律のバカ」と言い放ったのは「律が教えてくれた通りにやってるのになんで!?」という思いがあったからかもしれない。
そしてまた、あの時と同じく律は銃口をμに向ける。
μ)ねぇ律。この世界は、メビウスは楽しかった?
律)あぁ楽しかったよ。
でもねここはメビウスなんだ。
μ)そうだね…。
律)キミに届けたかった言葉を今度こそ逃げずに言うよ。
愛してるよ、μ。
ここで律の顔が現実での式島律の顔に変わり、声も現実の声(CV.岡本信彦)に。正真正銘の式島律としてμにやっと伝えられた言葉だった。
「ありがとう」でも「好きだよ」でも無いですよね、ここは。これしかないという一言にとても満足しました。アニギュラは紛れもない律とμの物語だった。やっぱラブだよねー。
■μの涙
7話ラスト。長い眠りから目覚めたμは涙を流していることに気付く。しかしそれが何かは分かっていない。この涙はなんだったのか疑問に思っていたけど、"悲しい涙"だったのではないかと思う。以下、大分憶測の範囲です。
先ほど述べたように7話というのは律とμの幸せ問答のシーンがあり、律が現実の記憶を取り戻したところでもある。思うにμは律との別れを無意識下で察知して泣いたのではないだろうか。
記憶が戻った律は現実へ戻ることを決意し、μをシステム面から直そうとする。しかしそれはメビウス、μが造った世界の否定に他ならない。μは設定上(小声)、メビウスの人の思っていることをある程度読み取ることができる(理解できるかは別で)ので、律の変化を察知し、ゆくゆくは律に拒絶されることになるのではと思ったのだろう。
そして12話。μは暴走しているとはいえ、なぜ話しかける律に攻撃を繰り返し行ったのか?一方でなぜとどめを刺すまでしなかったのか?
それは7話で察知した嫌な予感、律からの拒絶の言葉を恐れていたから、聴きたくないと思ってやっていたからだろう。そしてそれは律が大好きだから。
しかし橘真吾ではない、式島律の言葉として必死に伝える様にμも、聴きたくなかったであろうが、やっと耳を傾ける。
不思議。
帰宅部の皆は帰りたいのに
帰るのが少しだけ怖かったり
楽士達はこの世界にいたいはずなのに
寂しそうな顔の時があったり。
白と黒、不思議で複雑。
6話では律の拒絶行動(μ視点)があった。7話では記憶を取り戻した律に不穏な変化を感じた。大好きな律から拒絶されたくない、と律からの言葉を拒絶していたμ。
そして来るであろう別れの言葉の前に、μは恐る恐る律にした質問は「メビウスは楽しかった?」。これに対して律が返したのは「楽しかったよ」と、これまでのμを否定することなく肯定する言葉。
そして「愛してるよ」の言葉を聴いてμは涙を流す。μにとっては新しい表情なのかもしれない。良い微笑み。
律)それがね、人の心なんだ。
幸福になることを望むのと同時に
幸福になることを恐れる。
不幸を嘆きつつも
逆境に励まされることもある。
複雑なんだよ、人は、心は。
嬉しいけど涙が出る。悲しさもあったかもしれない。人間の不思議で複雑な感情。μがそんな人の心の一端でも感じられたところで、メビウスに終焉の銃声が響く。
■ED
以下、もしかしたらそうかもね、って話です。自由に妄想しましょう。
母は子の元へ。中毒だったものを捨て新たな夢へ。
お母さんへ謝る。過干渉な親に想いを伝える。
本を読む少女の元にフードを被った少年が近づく。ん~あざす!!!
小さき少年は憧れを抱き、生朗(三郎は?)に並ぶ男性+お供。
平凡だったり辛い生活でもあらためて奮起しようとする者達も。
付き添う人と付き添われる人と付き添われない人と。
足をグキる人も、手を重ねる2人も。ここは1話でもありましたね。
足グキは流石に笑うでしょ。11話まで予告のせいで余韻に浸れなくて、流石に最終回はと思ってたらまさかの…笑。一方で、ソーンはアリアの光で助かったはずだけども、現実に戻っても…という感じではあったので映されることはなかったか。
アニメCaligula、楽しかったですし、最後はとても満足でした。μ役の上田麗奈さんで入ったコンテンツだったけど今では『Caligula』自体が好きです。
曲が良かったって人はCD全部出てるので聴いてみて下さい。楽士の背景や歌詞にも触れるとより一層好きになれると思います。特にμの歌唱。「アニメ界よ、これが上田麗奈だ」と言いたいぐらいに、どれも素晴らしい。
アニメ楽しめたって人はカリギュラODをプレイしてみて下さい。帰宅部により深く踏み込めたり、楽士の闇も知ることができてドキドキできるはず。
そして円盤もぜひ手に入れてみましょう。1巻、μの後ろ姿がかっこ良い。ポニキャン様やフリュー様が頑張ってくれればμのライブもあるかも(切望)。
お疲れ様でした。ありがとうございました。そういえばカリギュラODのイベントも当たったので楽しみです。
追記:カリギュラODのイベント感想は以下記事(最下部)に書きました。
■他、疑問点
・1話教室内の「μの新曲聴いた?(レネットのこと)」が気になる。普通ボカロ好きなら「〇〇Pの新曲聴いた?」なんだよね。もしかしたら、この3曲って自然発生なのかな。特に『Tír na nÓg』ってμが作ったんじゃないかと思っている。他2曲と違って歌詞の二人称が”キミ”(=μが使う二人称)で、歌い方も6話の様に台詞っぽい・μの言葉の様に聴こえる。仮にそうだとしたら『レネット』→『juːˈtoʊpiə』→『Tír na nÓg』とμの心情変化を段階的に歌っている感じがあるし、レネットは3曲の基盤という言葉から、他2曲もμが作った、または自然発生と見て良いのかも知れない。全て憶測です。
・11話橘「変わったな、式島」が未だにモヤっとする。律の積極的な姿勢、自分がやりたいという心意気を肯定的に評価したのかもしれないし、それが流れ的にしっくりくるけどもあの辛辣な表情は何なのか…。
そしてCaligula関係の感想をちょこちょこ更新続けてた、このブログを観て頂いた方々もありがとうございました。以上です。