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好きなものの備忘。

カーオーディオから乙女式れんあい塾が流れて青ざめた話。

「乙女式れんあい塾」という曲がある。私はこの曲を愛し、尽くし止まない時があった。スクフェスというアプリでは23時間半の間にいかにポイントを稼ぐかというとち狂った遊び、通称「デイリー」が流行った時代があったのだが、そこで私はその限られた時間で何度もこの曲だけを叩き続けた。672回。23時間半を単純に曲所要時間で割った数である。そこに当然休憩の二文字は無く、食事もトイレの時間も無い。プレイ時間以外に時間を取ったとしたらそれはもうデイリーではなかったのだ。そんなことを繰り返していたらプレイ回数は10000回となり、そこを私は到達点とすることにした。そこから私のれんあい塾は閉まったままで、10000回が10001回になる日はまだ来ない。そんな止まった回数に加え、心に留まった何とも言えない思い出も、この曲にはあるのだ。

それは遡ること数年前。いわゆるドライブデートのようなものをした。助手席には家庭教師時代の教え子が乗っていた。その子はこんなどうしようもない私のことを好いてくれる稀有な人種で、一度告白されたこともあった。しかし私はその申し出を断った。家庭教師と教え子、私はそれ以上の関係になることは彼女の為でもないと考えていたからだ。多感な年代の子はそれ故にひと時の錯誤に至ることもある。ひとつ挙げれば「年上への憧れ」だ。私は彼女がそれに違いないと踏んでいた。なので、メールでの告白にメールで返した。けどそれでも、その後遊びに誘われることはあり、不肖な私はそれを断ることもせず何度か付き合った。メールのやり取りはお互い触れることはない。きっぱりと言葉を交わせばまた違ったのかもしれないが、思いを無下にしたくない、そんな私の偽善的な考えはお互いにとっての正着からただただ離れていくばかりであったのだ。

そんなドライブでは他愛もない会話が車内を彩った。彼女の学校のこと、私の会社のこと、最近見たTVのこと、流行りの邦楽のこと。BGMは適当な懐メロだ。しかし私にとっては懐メロだが年齢がやや離れた彼女にとってはそれらは懐かしくもなんともなかった。彼女にとっての音楽は米津玄師やBack Numberなのだ。私は彼女が好きな音楽をかけるように提案した。

「逢引のジレンマ」というものがある。恋人同士が「サッカーを観たい」「映画を観たい」と食い違った時の均衡解は自分の好きなものではなく、相手と一緒の時間を過ごすこと、というものである。つまり彼女はサッカーを観ても良いと思うし、彼氏は映画を観ても良いのだ。なのでデート時の選択で「どっちでもいいよ」という答えを聴いて、決して相手がイヤイヤだとか適当であるとか考えるのは早計なのだ。そんな時は素直に自分の好きなものを選択すると良い。それが相手の最適解でもあるのだから。

話はいくらか脱線したが、私は彼女の好きな音楽をかけることにした。「これならきっと知ってますよ!」と言ってback numberを流した。そんな彼女の好きな音楽を背景にまた他愛も無い話に花が咲いた。そんな時に聴こえてしまったのだ。イントロに耳を疑った。あの10000回聴いたイントロだったのだ。あの出だしサビの「ズルイ ズルイ ズルイことはしちゃダメなのよ」だったのだ。私は10000回聴いたあの曲が、今耳を通して鼓膜に響くあの曲であると気付くのに時間を要した。鼓膜は分かっていても脳がそれを受け付けなかっただけなのかもしれない。やってしまった、そう思った。しかしそうであり、そうではなかった。なぜなら今私のカーオーディオと繋がっているのは私のオタク御用達iPhoneではなかったからだ。紛れもなく、この曲を流したのは彼女のiPhoneだった。オタクのオの字も無い彼女と紐付かないその曲に、私の脳内はハテナで埋め尽くされた。その中でも運転に支障をきたさなかった私には我ながら褒めてあげたいと今となっては思うが。

徐々に冷静になり、1サビが終わったところで理解できた。「あ、この子は私のTwitterに行き着いたんだ」と。なぜ行き着けたのかも分かった。当時は既にLINEが当たり前だったが、その子と出会った当時は彼女も女子高生で、やり取りはメールだった。若い子や諸先輩方には分からないだろうが、私の時代はメールが全ての中心であり、各々のメールアドレスにはそれはもう大層な意味があったのだ。私達にとってメールアドレスを変更することは一世一代の大仕事であり、考えに考え抜いたそれはある種の作品であった。どんなメールアドレスと共に生きていこう(機種変するまで)、好きな子のメールアドレスは何を意味してるのだろう、そんなことを考えながら私達の世代は生きていたのだった。

そんな当時の私はあろうことか、Twitterのidをメールアドレスにしていたのだ(厳密にはまんまではないが、猿でも行き着くぐらいに単純な紐付けだった)。それはそうなる。彼女が私のことを好いてるなら私のメールアドレスの意味を探り、私のTwitterに行き着くことなど造作も無いのだ。そんな背景を微笑ましく思うはずもなく、私は今までのオタクな呟きを全て見られていたという事実に青ざめ鳥肌が立つ感覚を覚えた。助手席の彼女の顔を見ることなど到底できもしなかった。彼女もまた、やってしまったという顔をしていたのだろうか。いやそうでなくては困る。もしも、やってしまったではなく、やってやったという顔をしていたら、どうしようもなくその後の旅路で笑顔を作ることができなかったからだ。

曲はシャッフルだったようで、10000回聴いたアウトロが嵐の様に過ぎ去った後は、彼女のiPhoneからは彼女の年代が好きそうな曲が流れた。結局あの3分17秒はただの冗談で、ポケットんなかのものだったのかもしれない。何事も無かったかのように私は震える声を必死に取り繕って他愛もない話題へ、言葉を紡いだのであった。

結局その後再び彼女から好意を寄せる言葉を聴いたが、私は再びそれに応えることはしなかった。やはり彼女にとって私はそぐわないのだ。このアーティストといったらこの曲、そんな捉え方は誰しもが持っているだろう。ポルノならアゲハ蝶、バンプなら天体観測、aikoならカブトムシ、いやボーイフレンドか。そこに共感がある。しかしあの日彼女が「これならきっと知ってますよ!」と言ってiPhoneで流したback numberのクリスマスソング、私は知らなかったのだ。以上。

 

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