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好きなものの備忘。

志乃ちゃんは自分の名前が言えない 感想

予告PV
 
 映画「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」を観てきました。とても良かったのでたくさんの人に観て欲しいですね。
 

  

 私は押見先生の作品が大好きで、この作品も例外ではなく、感銘を受けた作品の一つであった。押見先生が描く心情描写は鬼気迫るもので、実写にしてしまうと迫力が劣ってしまうんじゃないかという不安もあったのだけど、この志乃ちゃん、素晴らしい実写化になっているといち原作ファンとして強く感じる出来であった。

 

 やっぱり音楽を扱う作品なので「」が付いたことが作品をより感じられるものに。吃音で上手く声を出せない主人公の志乃でも、歌うことでは自分の声を出していくことができる。不安にも思えた歌い出しから、徐々に自信がついていき歌声が出来上がっていく様に感じた。「あの素晴らしい愛をもう一度」、親の車のカーステレオから聴いたことある程度だったが、カラオケでの志乃の歌声は私が感動するには十分なほどに良いものであった。

 原作の舞台は押見先生の地元だったらしいけど、本作では綺麗な海を持つ沼津が舞台。そしてそんな沼津の綺麗な海を横目に、志乃と加代がめちゃくちゃ青春しているシーンがはちゃめちゃに良い。また原作ではただの地面の砂だったのが、映画では海岸の砂になるわけで、なんか青春感が増して良いよねっていうエモーショナルな気分に浸れるのも良い(とあるシーンにて)。

 志乃ちゃんの作品の語るべき魅力はまた別のところにあるんだろうけども、原作ファンとしては以上の点だけでも観る価値が大いにあると私は思う。そして押見先生が「原作者としては100点満点の出来」と評していることが何よりなことであろう。

 

 私は吃音と言えるほどではないが、母音から始まる自分の苗字がとても言い難いと思いながらずっと生活してきた。電話も苦手なので、かかってきてもほぼ居留守してLINEやメールをするタイプ。中学の時の彼女に「電話は嫌いなのでいっぱい会うようにしよう」と伝えたらメールで振られた。美容院の予約もいつも嫌で、予約の電話はいつも前日の閉店間際まで悶々としていた(今はネット予約)。そんな自分はこの作品を観て「あるある」と思うこともあったが、それ以上に「そうなんだ」と思うことが多くあった。

  

 だからと言って志乃ちゃんは吃音作品では決してない、そんな押見先生の想いが詰まった作品になっている。作中で志乃の相棒・加代がとあるメッセージを伝えるが、それは吃音に悩む人だけに向けたものではなく、自分に自信が無い人や無かった人には刺さるようなものであった。なので、できる限り多くの人に観てもらいたい作品だと思いました。

 

以下、ネタバレ有り。

 

 

■菊地

 いろいろ原作を良改変したり補完したりな映画だったと思うが、中でも「菊地」にギャップを感じた。原作での菊地は空気読めないのは映画と一緒だが、お調子で憎めないリア充側の理解者として描かれていたように思う。しかし映画での菊地はもっと脆く、志乃達と同じように自分の弱みに悩む側の人間であった。

 序盤はクラスに必ずいるお調子者のように見えていたのだが、徐々に孤立している様子が浮き彫りになり、中学では除け者にされていたという過去までも。志乃の緊張の自己紹介での一人称視点から始まった物語だったので、加代と出会って視野が広がっていく(周りが見えていく)流れからすると、菊地の状況が暴かれる過程は志乃の視点に合わせてミスリードさせる意図もあったのかもしれない。

 

 ただ菊地は、ウザイけど悪いやつじゃないということはなんとなく分かるやつだった。そう思わせたのも演じる萩原利久さんの愛嬌ある演技のおかげか。主演の2人もとても良い。志乃役・南沙良さんは気合の入った演技、特にラストの顔をいっぱいに濡らしながら叫ぶところ、原作の志乃顔負けだった。また、頑固に加代に食い下がるところがとてもかわいかった。そして加代役・蒔田彩珠さんも擦れた感じながらも根は強く優しい加代で良かった。志乃がたどたどしくも言葉を伝えてようとしている時に、真摯に目を見て耳を傾けて聴く姿勢を取っているところにグッときた。

 

 

■おちんちん

 そんな菊地のことを当初”見えていない”志乃は、もしかしたら彼の最初の自己紹介を参考にしていたのかもしれないと思った。加代に「メモ帳に面白いこと書いて」と言われた志乃。急かされ、咄嗟に書いた文字は「おちんちん」。確かに面白いのだけど、原作読んでて「なぜいきなり下ネタ?」と思ったシーンだった。

 ここで映画での菊地の自己紹介を思い出すと「好きなことはセックスです!…冗談です童貞です!」的なことを言っていた。当然教室の空気が死ぬわけだが、"見えていない"志乃はこのくだりを無意識にでも参考にしてしまい、後の加代のフリに下ネタで答えたのかもしれない。もっとも志乃の下ネタは意外性があるので面白く、加代の無茶振りにも応えるものだったわけだが。

 志乃は「普通の高校生になる」べく、周囲を参考にしている節が見られた。体育館横でぼっち飯しながら一人で練習する女子トークの内容は、少し前に教室で他の女子達が話していたことだった(と思う)。なので、模範的存在を真似る志乃ゆえにあの場で「おちんちん」が出てきたのではないかと自分の中では解釈した。正解かは分からないけど原作読んで思った素朴な疑問が、映画を観ることで自分の中で解消されて幾分気持ち良い。

 それにしても「おちんちん」、直球な下ネタじゃなくてかわいいレベルのものだったのが志乃らしくて微笑ましい。

 

 

■志乃と加代

 菊地の成長ストーリーはまた別のお話。本作はあくまでも志乃と加代2人の成長がメインに描かれる。

 加代の成長にとって志乃が絶対に必要だったのかは私には分からない。もしかしたら菊地が加代の助けとなり、デュオを組んでいたIFの話もあるかもしれない。しかしもう一方での志乃にとって加代は絶対的に必要だったと私は思う。

 

 歌というものは歌詞を理解せずともその説得力に浸れてしまうものだけども、加代が歌う「魔法」についてはぜひ歌詞から彼女のメッセージを汲み取っていきたい。

 みんなと同じに喋れる魔法・歌える魔法を願うも、行き先に悩み、結局は元いた場所を求めてしまう。だからその魔法はいらないと言い、今とは違った遠くを目指す、と歌う。

 自分の弱さから逃げる志乃に向けて、加代は自分の弱さを恥じることなく押し出して歌い、伝える。歌を聴いて育ってきた加代だからこそ、歌に伝えたいことを載せたのだろう。先に成長した加代から志乃へのメッセージ。

 

 つばを吐き捨ててバスに乗ろう 私は遠くに出かけてゆくから

 歌詞の終わりは、一緒に行こうという感じを出しておらずやや冷たさも覚える。この後「しのかよ」は活動を再開したのかもしれないが、これまでほど2人がべったりしている姿は想像しにくい。志乃は自分から見える視界を広げていくよう努力していているのだろう。それが描かれた映画のラスト、私はこの終わり方がとても好きだ。志乃は、発する言葉はここでもままならないけど、良い笑顔をしている。

 

 

 

■原作とオフィシャルブック

志乃ちゃんは自分の名前が言えない

志乃ちゃんは自分の名前が言えない

 

 原作未読の方は是非。最後の志乃の叫びのシーンは押見先生渾身の作画で素晴らしい。あと「おちんちん」の文字は先生の奥様が書いてるのでそこも是非。そういえば映画では誰が書いたのだろう。

 あと押見先生の後記がとても良い。自身の吃音の振り返りとそれが逆に活きた話、元気をもらえます。

 

志乃ちゃんは自分の名前が言えない オフィシャルブック

志乃ちゃんは自分の名前が言えない オフィシャルブック

 

 映画の劇中カットなのかオフショットなのかの線引が難しいほどに自然体な笑顔の高校生達の写真がまぶしく尊い。特にラスト数枚はヤバイです、表現するのに語彙なんて必要ないんじゃないかと思えるほどに青春です。また、押見先生が原作の解説をしてくれる特集もあり原作ファン必見。そして何と言っても志乃ちゃんのスピンオフ漫画も掲載されていて絶対に見逃せない内容。

 

 

 ■新宿武蔵野館

 この日観たのは新宿武蔵野館にて。映画デーだったこともあるのか、平日昼間にも関わらず席は見渡す限り埋まっていたので驚いた。年齢層は広く、やや高めな印象だったけど、隣が学校帰りの女子高生2人組だったので、しのかよを想起して微笑ましい気持ちに。アラサーに片足浸かってしまった私とは違った、志乃達と同年代の感受性をもって作品を観られるのはちょっと羨ましいと思った。まぁ年代関係なく楽しめる作品ですけどね。

 

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 そう言えば館内には特設コーナーがあった。ブランコは作中では見かけなかったけどここに常にあるものなんだろうか?その日は普通に待合席として使われていた笑。

 

 

 押見先生と言うと今は「血の轍」等、これまた志乃ちゃんとは全く違った凄まじいものが連載中なのでぜひ見てみて下さい。以上です。

 

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