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好きなものの備忘。

雑記 / 訃報に寄せて

小島武夫さん死去、82歳。「ミスター麻雀」と呼ばれた伝説の雀士

 

 年々見知った方の訃報を聞く機会が増えていくと感じた時、年をとったと思わされる。小島武夫プロが亡くなった。私は最近全く麻雀をしていないのだけども、この一報を聞いてなんだか落ち着かない気分になっている。推していた上田唯プロが知らぬ間に結婚していたと知った時とはまた違った感覚だ。

 まだ人生3分の1到達したかどうかって年齢だけど、私の一生を片手で表すとしたら指一本は間違いなく麻雀にあてる。初めては中学だった。きっかけは家族麻雀やっている友人のススメだったが、いつの間にかハマっていた。週末は決まって全自動麻雀卓がある友人宅に集い、学校では方眼用紙を切り分け、カード麻雀の様に牌を描いて休み時間に遊んでいた。その時に担任にその疑似麻雀牌を取り上げられたことには今でも納得していない。高校ではバイトや受験で麻雀からは遠ざかってしまったが大学で再燃し、必修科目以上に力を入れて取り組んだ。特にネット麻雀に大ハマリし、天鳳で1万戦をこなすなどした。一向にうまくはならなかったが。

 再燃したきっかけは小島プロのかの有名な九蓮宝燈和了した対局の動画を観た時であった。不真面目だった学生はそれを大学のPC室で友達に見せられ、その時受けた衝撃の大きさは今でも覚えている。超絶珍しい役が出来上がる様や引き寄せる鬼ツモ、マナー知らずな力強い打牌…等いろいろ感じたものはあれど、それらは集約して「とにかく麻雀打ちたい」になりその晩すぐ卓を囲んだ。非効率であろうと、だからこそ辿り着いた最終形に、あの時の私はとんでもなく魅せられたのだ。

 しかし、結局私はネット麻雀で主流だった、いわゆるデジタル派に従ってしまい、小島プロの様ないわゆるアナログ派とは対照的な考え方をするようになってしまった。ただやはり何事もやり始めが一番エネルギーを使う。そんなきっかけをくれた小島プロの麻雀が私にとって大事な機会をくれたのだと確信している。そしてそれは私だけじゃなかったことにも違いない。ご冥福をお祈りします。

 

 私は二十歳の時に高校時代の親友を事故で亡くしたのだが、毎年命日付近には墓参りをすることを私の中で絶対の"年課"としている。卒業してから2年足らずのことだったので通夜にはほとんどの同級生が訪れ、死に顔を見て泣いていた。しかし1周忌には10人弱しか集まらず、2年経てば募っても4人、そして3年以降は同級生が行ったという話を、毎年同窓会をしているが、聞くことはない。これらの流れで薄情な奴らめ、なんてことは全く思わない。これが当然だと思うから。人はどれだけ嬉しいことでも辛いことでも悲しいことでも、基本的には忘れるのだ。そうできているから仕方ない。

 ただ、人が死ぬのは人に忘れられた時、というワンピースのDr.ヒルルクの言葉を思い出した。訃報に追悼の意を表しようが、毎年墓参りしようが、何も起きることはない。幽霊が墓の後ろで聞いてようもんなら語りかける利もあろうが。ただ私は忘れたくない。あれだけ辛い感情が起こったのに数年経てば「あ、そういえば」となる自分が嫌だ。そんな自分になりたくない。私は行為として自分の為だと思ってやっている。

 このブログも同様の考えです。何かしようとしてスマホを持っても画面が付いていた頃には何をしようとしたか忘れていることも多々。いつの日か忘れることを前提に文字におこしている。誰かにも評価されたらとても嬉しいけど、まずは自分の為。この前高校時代に付けていたブログを見つけ、「恥ずかしくて読んでられねぇ…」と思いながら眺めてた。見終わってみれば「まぁつけてて良かったかな」と思った。これからもテキトウでもいいから何かしらには残していきたい。以上です。