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好きなものの備忘。

梔子と「おんぼろ / μ (CV.上田麗奈)」の凄み

カリギュラOD プレイ感想
Caligula Overdose/カリギュラ オーバードーズ - PS4

Caligula Overdose/カリギュラ オーバードーズ - PS4

 

 

 PS4カリギュラODCaligula Overdose)」をプレイした。従来の帰宅部ルートと、本作から実装された禁断と呼ばれる楽士ルートの双方の道を楽しみ、3種類のエンディング(楽士EDと分岐による帰宅部ED2種)を迎えることができた。

 

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 プレイしてみて、上田麗奈さんのオタクとして第一に感じたのはやはりの良さ。新規追加の3曲とそこにμとして声を乗せての仕上がり、素晴らしいハマり具合。

 特に新曲「Suicide Prottype」は抜群の出来。Lucidというとんでもないことをしでかしたやつが舐めた様にぶらぶらしながら歌っている姿が容易に想像できる。ディレクションと歌い上げた上田麗奈さんが素晴らしい。カリギュラのμに上田さんを抜擢してくれて感謝しかない。

 

 そしてこの歪な世界に負けないキャラクター達。ODでシリーズ初プレイということもあり、彼らの上辺しか知らなかった自分。「心の奥に踏み込みますか?」という問いかけに毎回ゾクゾクしながら答えたものだ。

 敵味方で20人以上も主要キャラがいるのに各々がキャラ立ちしている。ありふれた現代病理に苦しむキャラを描く作品は全然ありふれていない。おぐちさんのかっこいいイラストが相乗効果でキャラを立てる。

 

 そしてシナリオの出来。「正義の反対はまた別の正義である」という言葉の意味を実感できるは楽士ルート。敵側の心の奥にも踏み込むことができるようになった為、μの曲の理解に更なる深みを持つこともできた。…と、良いようなことを言っているが楽士編のEDはゲロ吐きそうになりながらやっていた。もう勘弁。

 神殺しというタブーを現代に置き換えたのが偶像(アイドル)殺し、山中Pの考えにとても感銘を受けた。私もアイドルコンテンツに浸かるオタクなので「"推し"が間違ったことをしている(と自分が感じた)時、どうするか?」という問いかけはとても悩ましいと思った。本作ではこれに解答を押し付けることなく、プレイヤーに結論を投げているのが私的かなり好きなポイントである。

 

 バトル等で細かいところに勿体無さを感じた点もあったけど、カリギュラ独自の魅力が存分に尖りまくった出来になっているので、自信を持ってオススメできる作品。

 ということで、普段CSゲームはしない自分でも楽しむことができ、とても満足でした。アニメやイベントなど他にも楽しみがありますし、μのライブがいつの日か実現されることを心より願っています(懇願)。

 

 

以下、ネタバレ有り

 梔子や「おんぼろ」について書きますので、ED未見・各キャラでエピソード★未達の方にはネタバレになるのでご注意下さい。特にアニメオンリーの方やカリギュラシリーズ未プレイの方は読まないで下さい

 

 

 

 

 

 こう、一通りプレイしてみて、納得できないと言いたいわけではないが、煮え切らないのが「梔子(くちなし)」である。一度は現実に敗れてしまっても、苦楽あってこそ人生であることを実感し、もう一度踏み出す様を帰宅部が、さらに本作では楽士までもが、見せてくれた。もちろん中にはメビウスに未練を残す者もいたが、最後では歩き出す姿を見せてくれた。

 だが梔子はどうだろうか。彼女には救いを見出すことが私はできなかった。

 

 

■梔子にとってのメビウス

 

 メビウスという理想の世界で梔子は何を望んだか。

 

 名前は各人が望むままに付けられる。イケたいのでイケPと付け、理想のヒーローを体現したくてその名を借りた者がいた。理想世界での名前は、各々の理想が映ったものと言っていいだろう。

 

 彼女は弓野胡桃という本名ではなく「梔子」と名乗る。梔子とは植物の名前で、調べたところ花言葉は「幸せ」「優雅」「幸せを運ぶ」などポジティブな意味が並ぶ。鈴奈もこんな感じのことを言っていた気がする。

 エピソードを進めれば分かるが、彼女はメビウスに残りたい側の人間である。そんな彼女が「幸せ」の意味を持つ梔子という名を選んだのだ。彼女がメビウスをいかに居場所だと感じていたのかが読み取れる。

 大事な人を亡くしたのは笙悟やソーンも一緒だが向き合い方はそれぞれだった。笙悟はその死から逃げるように忘れることを選択し、ソーンは必死に向き合ってあの日あの時の彼女に近づこうとした。梔子はと言うと、まがいものだろうとNPCの家族と共にするもう帰らない日々を幸せと呼んでいた。

 ODは新キャラ4人が相互に関係し合っていてよく練られていると思ったが、梔子はさらに既キャラを立たせ、カリギュラの世界に重みが増したと感じた。

 

 

■口無しの梔子

 

 μが願いを叶えてくれるメビウスでも梔子は自らの口で喋ることはできない。それは問題が身体的なことではなく、PTSDといった精神的なものに起因するからだろう。嫌な記憶を消す様に依頼すればそれもできるのだろうが、そうしなかったのはなぜか?それは梔子が消してはいけない復讐心を持っているからだと考えた。

 

 ピラミッドを改造し、謎解きの脱出アトラクションにした梔子。各所に散りばめられた問題(質問)はサイコパスを炙り出すかの様なもので、明らかに琵琶坂を意識したものであった。

 しかし罠にかかる前に罠だと気付かれてはいけないので、本名とは違った名乗りをすることに。しかし暗にでは、琵琶坂に自分が復讐者だと気付かせる為に、裁判で見せた口無しだった様子をもじった梔子という名前を選んだ。知らぬままヤるのではなく、知らせた上でヤる。単純な殺意ではない、強い復讐心が見え隠れしていたと考察する。

 

 ちなみに梔子は喋りたいと思っているのだろうか?それは梔子(エピソード)◇9で分かる。

 色々手助けをしてくれたLucid達に対して何か御礼をしたいと言う梔子。「マスクなしで礼が聞きたい」と選択すると、なんと梔子はマスクを取った姿を見せてくれる(プレイヤーからは見えない)。続けて「声を出すのは少し待って欲しい」的なことを言ってくれる。梔子は声を発することはできないが、声で伝えたいという思いはあるのだ。

 

 

■おんぼろ / μ(CV.上田麗奈

 

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μかわいいよμ

 μは楽士の中でも特に梔子に入れ込んでいたようであった。そんな梔子の口にしたくてもできない思いを歌い上げたのが「おんぼろ」。これがもうとんでもない出来で、数多のキャラソンを聴いてきたはずの上田麗奈界隈がざわついたほどである(所感です)。

 

 

 梔子の望みのひとつ、復讐を叶えてあげることはできないながらも琵琶坂に不利とも思えるほどには手助けしていたμだった。そこまで入れ込んでいたからこそ、気のせいかもしれないが、他の楽士の歌以上に気持ちが入ってるかのようだった。

 

 聴いてるだけでも辛いDメロの"もう帰らない日々 目をつむる度 思い出す夜に"を歌い、続けて落ちサビ終わりの"おんぼろっ"は梔子の絶望を代弁するかのような歌声、というよりはもはや叫びだろう。μ役の上田さんも「歌うって言うよりも代わりに叫んであげてる」と言っていた。

 

 上田さんはこの「おんぼろ」や「梔子」に対して「抱えているものの壮絶さに共感し涙が止まらなくなった」という趣旨のことを話した。そう、私達は梔子の絶望に共感して泣くことしかできない。救うことができない。とてももどかしいのだ。

 「おんぼろ」大サビ最後の"おんぼろになっても"の、気持ちを残したような歌い方に、μのもどかしさが表れていると感じた。

 梔子◇9でキャラエピソードが★になったのだが、μは「梔子の幸せってメビウスにあるのかな…?」と疑問を残して終わる。他のキャラに比べて明らかに異質だ。そしてこれがμの変化のきっかけにもなっているような良いシナリオ展開が憎い。

 

 

■EDを迎えて梔子は

 

 繰り返しになるが、梔子が救われないと私は感じている。

 

 琵琶坂に天誅が下されようが下されまいが、梔子はメビウスに居残ることを望む。それは彼女の本来の望みが大事なもの(家族)だったからである。

 帰宅部EDで見せたのは墓前にしゃがむ梔子の姿。週刊誌を見せ、仇敵の悪行が白日の下に晒されたことを報告しているようで、幾分晴れやかな顔を見せているようにも見えるが、直後手で顔をお抑え、うつむく。そしてシーンは次のキャラクターへと移る。

 解釈差はあれども私は全くもって「梔子、良かったね」とは思わなかった。それは復讐したところで何も産まないという結末までもを見せられたようだったからだ。先ほど述べたように梔子が大事していたものは現実には無い。

 梔子◇8で言っていた、「現実へ戻っても、もう私には何もない。たとえまがいものでも大事なものはここにしかないんだ」を思い出すともうやるせない。梔子にとっての現実は"地獄"と書いてそのまま"じごく"と読むのかもしれない。

 

 

■たられば

 

 帰宅部の面々は各自それぞれに合った花がある。例えば鈴奈は「ピュア」「威厳」な白百合、彩声は「男嫌い」のカラスウリ(諸説有?)

 対して梔子は楽士なので己をあしらった花は無いようだが、その名前自体が花の名を表す。もしかして、梔子は本来帰宅部側にいるべき存在だったのではという希望的憶測を残したい。

 

 梔子◇9にて、マスクを取った姿ではない方のもうひとつの選択肢「お前の大事なものに加えて欲しい」を選ぶと、動揺を見せながらも「大事なものは新しく作ることもできるのか。…それなら多分、もう入ってる」と答えてくれる。ただ、その後も彼女の選択はメビウスに留まることであった。

 

 もしも、健介のようにもっと早く帰宅部に寝返っていれば、Lucidに見せた一歩を帰宅部にも見せてくれたかもしれない。大事なものの作り方、そこから得られるものをもっと早く知ることができたかもしれない。そうすれば願い叶わず仕方なく地獄に帰らされたのではなく、望んだ末に能動的に地獄に帰って来られていたかもしれない。エンディングでも、哀しい涙を流す姿で終わらず、そこから一歩踏み出す姿を見られたのかもしれない。

 あくまで、もしもの話である。そういうたらればを語りたいくらいに救われないキャラだったと思わざるをえない。そうすれば梔子の花言葉をそのままの意味通りに受け取ることができるのに、と。

 

 

 ということで梔子と「おんぼろ」についてで4000字近く書いてしまった。書いてる間にiTunesの再生回数も200↑に…。

 新キャラ4人や楽士編の追加分でどうシナリオが転ぶかという不安もあったろう中で、梔子が新旧キャラに絡むスパイスになって作品がさらに強化されたのに、別の後味を残す結末を憂いたかったんです。山中Pには一枚絵で良いので幸せな梔子の姿を見せてくれるのを望みます。

 

 

 カリギュラ最高でした。以上です。

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